四月。月森孝介は五度八十稲羽駅に降り立った。
勿論?度と云うのは物理的な意味ではない。二〇十一年を五度迎えたと云う意味合いである。
足立透との闘いを経、世界を救った月森であったが、何故かこうして同じ一年を繰り返している。最初は夢まやかしの類かと思いもしたが、同じ事が?度も続けば誰だって信じざるを得まい。嘘のような話だが、この世界は閉じてしまっているのだ。二〇十一年を以てして。
怖ろしいことに、足立の言葉は真実正しかった。世の中は変わらぬ。連続殺人事件を解決しようが深い絆を結ぼうが、現実は尚以て酷薄に、そして連綿と同じ時を刻み続ける。当初、月森はこう思ったものだ。『何を間違えてしまったのだろう』、と。自分が過ちを犯したから、罰……ペナルティとしてこのような結果になったのだ。度し難い現実を目の前にした少年の健やかな、そしていじらしい思考パターンであるまいか。
だが試行錯誤を重ねるにつれ、少年は青年へと移り変わって行く。二十歳を迎えたその日、月森はふと気付いたのだ。
もしかして、これが正解なのではないかと。
そう、月森は疑いもしなかったのだ。同じ一年が繰り返される、これが異常であると云う事を。
噛み砕いて言うならば、彼は三度目を以て初めて『もしかしたらこうして二○十一年で時が止まる事が元々正しかったのではないか』と云う疑念に辿り着いたのである。
馬鹿な事をと思うだろうか?だが何故明日が連続した今日であると言えるのだろう?一体誰がそれを証明すると云うのか。元々二○十一年を以て世界は時を止めるように出来ていたのだとしたら、神とやらが、或いは何等かの意志とやらが働いていたとしたら、どうして人の身である月森がそれを知る事など出来ようか。
月森は偶々気付いただけで、彼以外の全ての人々は無垢に同じ一年を繰り返し続けている。何故自分だけが気付いたのか、その理由は分からぬが、若しこの事件の渦中に無かったら、月森とて人々と何等変わらず同じ一年を過ごし続けていたに違いない。
新たな可能性に月森の心は揺れた。何故なら若しそれが正常なのだとしたら、彼の足掻きはまるで無駄と云う事になってしまうからだ。定められた時を繰り返す事が必定ならば、暴力で他者を制する事もまた徒労。この世界に未来は無い。極めて物理的な意味で未来が無い。ならば徒に傷付け合い、罵り合う事に何の意味があろうか。互いに歩み寄ることが出来ないのなら、いっそ。
いっそ、その環から外れてしまえばいい。
無論、其処に至るまでにはそれなりの段階と理由がある。先ず大前提が、月森は彼、足立透が諸悪の根源と知っていると云う事だ。山野真由美を殺し、小西早紀をも殺め、久保美
津雄をテレビの中へと突き落とし、生田目の犯行を影で扇動した張本人。それが足立だ。月森は二度目になって初めて彼の中に眠る悪意に気付いた。人好きのする笑顔や(月森らにとっては)都合の好いうっかり、おっちょこちょいが嘘だったと知った時は裏切られたと詰るような気持ちにならなかったと言えば嘘になる。他者の大事な者を傷付けておきながら、のうのうと病院に出入りして看病などしていたのだと思うとどうしてと縋るような思いにならなかっと言えば嘘になる。だが一緒に寿司を食った時、酒に酔って帰って来た堂島を支えながら仕方なさそうに眉を寄せた時に見せたものまで全て嘘だったとは、月森にはどうしても思えなかった。
月森は足立を知りたいと望むようになった。彼の姿を追い、声をかける日々が続いた。困惑しきりの彼の表情は、言葉は悪いかも知れないが可愛らしかった。今思えば内心では罵詈雑言の限りを尽くしていたのかも知れないが、動揺している事は明白だった。そして不思議なことに、彼は気安くなればなるほど口が悪く、そして怠惰になって行くのだった。
「はあ、君ってほんっと良く分かんないよね」
彼がそう言いながら月森の手料理を食べるようになった頃、初めて月森は彼を抱き締めた。彼はある意味で嘘吐きではあったが、ある意味で極めて正直な人間でもあった。ミイラ取りがミイラになったかな、と笑うと、足立は「ほら、そう云う所」と不機嫌そうに眉を顰めた。童顔の彼のそんな不満そうな顔が可愛かった。好きですよと言うと「耳にタコ」と詰まらなさそうな声で返す彼が好きだと思った。彼がそう云う口調で喋るのも、そう云う表情を見せるのも、僕の前だけなのかなと思うと甘い独占欲のような愚かなもので爪先が痺れた。
少なくともそれが友情と云う形でない事に、誰より驚いたのは本当は月森の方だった。自分がまさか男、それも十も年上の、狡猾なる連続殺人犯に特別な想いを寄せるようになるだなんて。これまで男を好きになった事など一度もなかったし、自分がゲイだとかバイなのかも知れないなどと云う突然のショックに戸惑わなかったわけではない。偏見があったわけでもなかったが、我が事となれば矢張り話は別だ。それでも自分にしか見せぬであろう足立の怠惰な言葉が、意地の悪い眼差しが、偶に垣間見える本当の意味での人の好さが月森を今に至らせた。
そう。この白い世界に。